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『柳川堀割物語』凄すぎて語る言葉すらない

誰も知らない未来を創造しよう


宮崎駿と高畑勲制作の唯一のドキュメンタリー映画で、水の町・柳川を描いたものがあると知ったのは割と最近になってのこと。

この映画を撮るために宮崎駿は自宅を抵当に入れたなどの情報を知るに、

そこまでして描きたかったものは一体なんだったんだろう?映像として何を残しておきたかったんだろう?

とものすごく気になっていた。

水の都として知られる福岡県柳川市を縦横につらぬく水路網「堀割」。市街と水路がへだてなく隣接し、人々の暮らしにとけこんでいる様子がある。本作は、その成り立ちから現代にいたる水辺の暮らしと知恵を紹介しながら、近代化の波におされて荒廃した堀割の再生をめざす住民のたたかいをあわせて描いている。
監督の高畑は、もともとアニメの舞台としてのみ柳川を登場させるつもりで現地でのロケハンを行ったが、そこで水路再生の中心人物である柳川市職員広松伝の話を聞いて感銘を受け、単なる物語の背景ではなく、柳川そのものを主題にしたドキュメンタリーを製作することに決めたと語っている[1]。広松は本作の製作にも深く関わっている。
鈴木敏夫によると、この企画は高畑がプロデュースした『風の谷のナウシカ』がヒットしたことから、『ナウシカ』の監督である宮崎駿が、その謝礼として『ナウシカ』で得た資金を使って高畑が監督する映画の製作を提案したことが発端である[2]。制作は1年間の予定であったが、高畑が遅らせたために3年間に延びた[3]。しかも、高畑は宮崎が用意した資金を使い果たしたため、宮崎は自宅を抵当に入れる事態となった[2]。

 

DVDは高騰(今見たらそうでもない)、配信もないから、もう観ることはできないのか、、、、と諦めていたわけだが、阿佐ヶ谷のミニシアターで上映との情報をこれまた偶然キャッチして、初日である昨日行ってきた。

本作は以下の章立てで構成されている。

  • プロローグ
  • 第一章 堀割は生きている – 水路点描 –
  • 第二章 汲水場とお濠端 – 水路網の特色と利用 –
  • 第三章 柳川三年肥後三月 – 水路の仕組み –
  • 第四章 福岡県令 飲用河川取締規則 – 水路が清浄だった頃 –
  • 第五章 列島改造の時代 – 水路の荒廃 –
  • 第六章 海のつくった平野 – 堀割のなりたち –
  • 第七章 水を「もたせ」る – 水利システムの完成 –
  • 第八章 水の一滴は血の一滴 – 矢部川水争い –
  • 第九章 直訴と英断 – 水路再生に向って –
  • 第十章 自然を生かし共に生きる – 城堀水落ち –
  • 第十一章 住民と行政の連帯 – 水路再生の歩み –

実に3時間近くの長編だが全く長さを感じさせない。いやいや、確かにこれは自宅を抵当に入れてでもやり切る価値ある仕事だったんだわ、、、、、と思った。

クリエイターって凄いな。心血注ぐってこういうことだよな。。。。

全ての章に感嘆のため息、もしも自宅で観ていたら「うおおおおおおおおおおおおお」と何度も口をついただろう。

それと同時に「今、我々が失ってしまったもの」が対比的に浮かんできてしまい、とてもとても単純な言葉で語ることができない。あまりにもハイコンテクストで、わたしのようにたくさんの情報をキャッチしてしまう人には語る言葉が見つからない、ということになる。

柳川の水路の基盤は弥生時代からの集落と稲作をベースにしたもので、それが現代(撮影時、つまり約40年前)に至るまで、人々がどのように「水と大地」と付き合ってきたかの歴史である。

 

全編を通してひとつだけ言うとすれば、

自然との共生

という人類永遠のテーマに対して、

このクニには、自然は人間が制するものとしか捉えない西洋文明では決して持ち得ない(発想すらあり得ない)

徹底して考えに考えられたとてつもない理想的な共生哲学と

それを実現に至らしめる凄まじいとしか言いようがない知恵と技術が、弥生の時代から存在し、

完璧に機能していたんだ、江戸時代までは!(つい最近じゃねえか!)

そしてそんなことを、我々は一切知らないで生きてきたんだ。

だから堀を埋めるというような暴挙を、全国各地で平気でやってしまったんだ

という事実のみが、わたしの中に堆積したヘドロのように残った。

 

 

とにかく、このクニには誇るべき数千年来の秀逸な文化があって、ヨソの国には絶対真似できないレベルの高い精神性と公共性、そして美意識を備えたものだった。

それを我々はあっという間に手放してしまった。

まあ、またここで「また明治かよ!」という話ではあってうんざりするわけだが、

いったい文明開化って何だったんだろう、という冷静で客観的な視点はみんなが持つ必要がある。

日本の「何」が西洋に比べて遅れていたというのか?

結局、地球のどこかしこも、地面が悲鳴をあげ続けた結果、大規模災害が激化している現状を鑑みるに、

遠い祖先が残してくれていた自然哲学をおいそれと手放してしまった俺らはいったい何なんだろう。

無知って罪だとしみじみ思う。

意図的に破壊されようとするシステムに対して、その価値に対して無知であれば、守ることも抵抗することもなく、破壊に加担して疑問を持たない。

 

 

共存共栄って、言葉は簡単でも実行し続けていくことは煩わしくめんどくさいこと。

それは、相手が自然であろうと人間であろうと同じことで、

つまり「付き合いとは本質的にめんどくさいこと」なんだと思う。

だけど、このめんどくささを受け入れたら、絆や愛着なども含めて途方もない豊かさや穏やかさという実りを得ることができる。

今や我々は、めんどくさいことから全て遠ざかっている。

それが進歩であり発展であるとは、わたしには到底思えない。

 

 

阿佐ヶ谷でしばらくやってるから、是非見に行って欲しい。遠くの方は、DVDが今ならあるので、買ったほうがいい。

https://amzn.to/3PCcyho

 

 

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