今日はうまくまとめて書こうという気がありません。正直にいうと、最近はもう、ずーーーーーーーーーっとそういう気が(能力も)ありません。
でも別にいいんです。
もう、ノリだけでつかんでくれる真の既知外のみんなを求めてます。
「つかんだかどうかわかんないです〜」とかいちいち言わないでよろし。そげなことどうでもよかです。
すべては「ノリ」。つまりグルーヴ。
すんごい乱暴に言うと、「懇切丁寧に書かないとわからない人っていうのは、懇切丁寧に書いたところでわからない」。これ、真理。
だったらもう、めんどくさくてね。
んなことたどーでもよろし。
や、始まりましたね。いろんなことがドカンドカン。
山田貢司さん言うところの「大お祭り大会」でしょうか。
個人レベルでも、社会レベルでも、「蓋を開けてみたらビックリ!」ってことが
これからさらに加速度ついてくるでしょう。打ち上げ花火のごとく、夜空を彩ることでしょう。
た〜まや〜〜〜〜〜〜〜〜
そう、玉。
対するは、か〜ぎや〜〜〜〜
玉と鍵。
閉じられたお前の玉の鍵を自分で開けろ!!!!
そんな感じ。
俺は腹を括りました。
これまではタカを括っていた。
タカククリヒメ転じてハラククリヒメ。
そ〜したらなんだか、「一人ええじゃないか」みたいな、メタクソ楽しくなってきました。
もちろん、考えたらユーツになることもある。
ユーツとええじゃないかが同居する。
しかし、この先の我々は、この「ええじゃないか力」をどんだけ持てるかにかかっている。
ええじゃないかを起こせるのが日本人。
ええじゃないか力。
「やってらんね〜。もうどうでもいい!それより僕と踊りませんかウフフ」の世界。
男は女装し、女は肩を脱ぎ乱舞する。幕末の熱狂、「ええじゃないか」は何なのか?
どうせ自分、この先悪いことにはならね〜。なるわけがね〜わ。どーなったってどうにかなる。
そんな感じ。
いや〜、こないだ行った「十種神宝」のセミナーが、なんであんなにつまんなかったのか。
しばらく考えてたんですけど、あの手の話って結局「前頭葉文化」の域を出ないからなんですよ。
あーゆー手合いは、ゴタクを並べて分析する。
「これからよく調べてみます」とか言っちゃう。
調べて何がわかるんか?と俺は思う。
もう誰でも使えるじゃん。
でもそーゆー手合いに
仮に「すいません、わたし、玉作ってて、使ってるんですけど、、、、」などと控えめに言ったところで
「ハァ?」
としか反応ないだろう。
それはなぜかといえば、そーゆー手合いは前頭葉だから、「そんなことあるわけねーだろ」の反応がまず最初に来るんだってば。(次に来るのが損得勘定)
つまり固定観念という記憶の物置、言い換えればこれからの時代に不要なゴミ溜めが前頭葉。
我々はものごとを前頭葉で受け止めることから脱却しなければダメ!
それができるのが日本人!
思い出してくれ〜〜〜〜、日本人の脳、本来まじ凄いんだってば。
お城と水路。自然との共生と軍事防衛を両輪で解決できたとてつもない思想と技術。
平安絵巻の横スクロール文化。
それからダジャレ(川柳)センス。
「泰平の眠りを覚ます蒸気船」みたいな。開国を迫られる一大事だっていうのに悠長にギャグ飛ばしてる感覚。
そーゆーのは西洋人には絶対できない脳の使い方。脳に余裕がなければできない。
考えてもみて欲しい。昭和はみんなギャグ飛ばしてた。平成になり、令和になり余裕とともに壊滅した。
心に余裕を持ちたければ、1日20個のダジャレを考えた方が良い。そのうち、勝手に飛び出すように脳の回路が回るようになる。
それが大事。
これクソマジな話です。
それで思った。
結局、つまりもう「想念世界」だってことなんだよ。
なんで「玉」なんかができてしまうのか。
それは前頭葉でやってないから。
へ〜「生玉」てのがあるんだ。やってみよう。
ただそれだけのことで、できてしまう。「意味」とかガタガタ考えない。
多分誰にだってできてしまうと思うから作ってみたらいいんだよ。
「ある」と疑わなければ「ある」し、実際に「ある」化できる。
そして、それはなんだか知らないけど「生玉」で言われているようなことが起きてしまう。
それが想念世界。
思ったことが現実になる。
あ〜なるほど、そういうことね〜〜〜〜〜
と、最近になって、わかりました。
もう「癒し」なんかの時ではない。
あなたは癒されてなくてぜんぜん結構で、むしろ癒されていないことを自覚しとけばOKです。
そんなことより、
もっとでっかい概念で「よりよく生きる」について考えましょう。
半径10メーターの話は、もうおしまい。
あの鐘を鳴らすのはあなた。
・・・・そんな話を、明後日はみんなでしたいと思います。
小難しいゴタクは、よその人に任せておけば良い。わたしは、わたしにしかできない話をします。