終戦記念日と言いますけれど、敗戦なわけで。
言葉をマイルドに言い換えて、コトの本質を見えなくさせるのは今も昔も俺らの伝統芸です。
そんな伝統は、直裁的な言葉を嫌い、なんだかふわっとしたもので分かったような気になってしまう皆さんによって支えられています。
ですから、わたしはその片棒を担ぎたくないので、シンプルでダイレクトな表現を選択したいと思います。
言葉は大切にしないとね。
奥ゆかしさや繊細さは、花鳥風月を愛でたり、心のうちを去来する様々な思いを表現するための言葉にこそふさわしく、
日本が体験した「戦争」のような、血も涙もない過酷で理不尽で凄惨なものを語るときにはまったく不要だと思います。
英霊という言葉すらも、わたしには抵抗がある。
英霊ではない、負け戦の犠牲者だよ。
その意味では、銃撃ではなく飢え死にさせられた兵士たちも、特攻を志願「させられた」年端もいかない男の子たちも、徴用された朝鮮半島出身の人たちも、ナパーム弾で絨毯爆撃され多一般市民も、
本当は戦争を回避したかったのに南の島で撃ち落とされた山本五十六先輩も、また戦争を回避すべく担ぎ出されたのに誰かを庇って絞首刑となった東條英機先輩も、
皆同じ犠牲者だ。
もちろん敵国の兵士たちも。
歴史認識なんて、100人いたら100通りの認識があって当然だから、わたしはそのように考えています。
ただ、本当にどの方も、皆それぞれの差し迫った状況下で、立派に、勇敢に職務を果たされたということだけは、絶対的な事実だと思うゆえ、深い敬意を持っている。
毎年、この時期になると、良質なドキュメンタリーが連日放送される。
10年以上、そのほとんどを録画して見ている。(し、今考えたら日本にいなかった数年間を除いたら、日本に関係するしない関わらず戦争関係の考証ものはめちゃくちゃ見てるし本も読んできたから
多分、その辺のアベレージ的な人の100倍ぐらいの情報に触れてきているはず)
おそらくわたしは、わざわざ強い憤りを感じるために見ていると思う。
戦争について知るってことは、この世界の仕組み(つまり一部の思惑に則った大衆扇動の仕組み)と人間の心理を知るってことで、いちばんはっきりわかるのでね。
つまりこの世界の、つまり人間たちの「暗部のすべて」、それが戦争だと考えてます。
大衆(=何かにつけ一喜一憂する人、不安を煽られる人)ってのは、簡単にノセられ、簡単に加担して、最後に梯子を外されてしまうだけ。
例の流行病騒動を見ていてもわかる通り。
「騙し」というのは、騙される人間がいるから成り立つわけで。
そして騙す人間より、騙される人間が圧倒的に多い場合に成り立つんだよ。
今年、「終戦」から78年。
てことは、2025年は終戦から80年。キリのいい数字ですよね、80って。
こないだマフィアみたいなカッコする口の歪んだどなたかが台湾行って、何やら威勢のいいこと言ってましたね。
なんでこの時期わざわざ行くよ。
あー、きっと彼が火付け役に任命されたんでしょうねと思いました。
みんな、80年前どのようにして戦争が作られていったのかぐらいは、学んでおいた方が良いですよ。誰かの意見ではなく、自分でね。
見ないようにしてハッピーを保つより、知った上でも振動数を落とさない。そっちの方が本物です。
実際、今はすでに戦時中なわけですが、ここでも恐怖にドライブされて目を逸らそうとする人につける薬はないと思う。
ちなみに、
核戦争的な一大有事になったら宇宙人がUFOで助けにきてくれるとか
寅ンプ先輩が世界を変えて助けてくれるとか
ましてやわが国の「やんごとなき方」が何かを発動して助けてくれるとか、
そんなことはあり得ないのでね。
誰かが、何かをしてくれるなんて考えは捨てた方がいいです。
考えてもみてください。
口のひん曲がったマフィアみたいな帽子の方の家系図。その辺に出回ってますから誰でも検索できます。
お妹さんがどこに嫁いでいるか見たら、「あはははははは!あそっかー!(麻生だけに)」って話ですから。
おまけにお嬢さんの嫁ぎ先も露骨ですから。
我々にかけられた最後の幻想であり、最後の洗脳が、この「やんごとなき方々」。
わたし、戦後80年を待たずに気付いてよかった!って思ってます。