つらつらと。
実家に行って、なんとなく母とコロナの話とか、この先の見通しとか、わたしなりに考えている「想定」などを共有してきた。
母は、昨日ちょっと心配だと書いたけど、まあ普通だった。
去年一年間、父があんなことになってたから手付かずだった庭を、植木屋さんが入って綺麗にしてくれたということだったけど、
どういうわけだか、井戸の裏(龍脈の場所)に、大きめの石がごそっと集められていたので、なんだかわからないけど積んでみた。
紫鯨亭さんに写真を送って、検証していただいた。
まあ、しばらく様子を見る感じ。
そういえばこの中のいくつかの石は非常に見覚えがある。ジイさんが盆栽をやっていたので、それに使うものだとかなんとかで、わたしが幼児の時にはすでにこれらはあった。
今見ると綺麗だなと思う。昔は何にも感じなかったのに。
いやー、実家って面白いって思った。自分の育った部屋って、「自分の宝庫」じゃん!て思った。
実家を出て20年以上。
超最近でこそ、頻繁に行き来しているものの、そういう意味では約20年、ほとんど寄り付かなかったわけだから、ましてや家を出てからわたしの部屋は大幅な物置き化していて、行っても自分の部屋で「過ごす」などということは皆無。
もはや自分が暮らしていた時の「感じ」などは取り戻すべくもない。
ある意味わたしにとって不思議な場所。
昔の自分を発見する場所というか、なんというか。
今日、唖然としたことがあった。
まあ、わたしは本が好きで、とにかくやたらと買うわけなんだけど、それはもう、昔から。
昔の方が買ったものを読む率は今よりはるかに高かったけど、「買って、読まない」は普通のこと。
本棚をゴソゴソしてたら、パッと目に入ったのがこれ。
まるで覚えがないのだけれど、わたしこんなの買ってたんだ!!!!という衝撃。
いつのだろうと思ったら1988年。
覚えもないし、読んでもいない。
買ったということは、何か買う動機が少なからずあったはずだが、まるで見当もつかない。
けれど、こんな本があったとは知らずに、わたしはここ最近、バスクにはなかなかの関心があって、考えたら2016年と、一昨年の2度にわたってわざわざ訪れている。
なんか言いようもない、非常に不思議な感覚だ。
今関心を持つものは大抵、実はとっくの昔にひと舐めしていたものだってことばっかりだ。自分というものの中にある垂直なスパイラルみたいなもんを感じる。要するに時間や思考、嗜好というのは一直線ではないというか。(うまく表現できない)
ま、どんなお話が綴られているのか、なんだか読まざるを得ない気になって持ち帰ってきた。
あっちからこっちに、ただ単に移動させただけってことにならないように、読んでみよっかな。
そうそう、本棚をゴソゴソしたのは、ダリのタロットカードを探すためだった。昨年、同様の本は発掘できたけど、カードはまだ見つけていない。今日も探すのがやんなった。
どこ行っちゃったんだろう。。。これは買ったことも、カードの装丁も、色も覚えているのに。
そう、1990年にミラノで買ったと思う。
そんなとりとめもない話。
読んでくれてありがとう!
またね〜