既知外の皆さま
今頃になって、屋外である限り、「お口のお札はしないで良い」とかなんとかの「おふれ」が出たりして、ちょっと笑ってしまいます。
したいヤツはすればいいし、したくなければしなきゃいいじゃん。
ちなみに、わたしがお口にお札を貼ったのは、ガタガタ言ってた2週間ぐらいのことで、考えたらそれから約2年というもの、義務付けられてる施設に入る時以外そんなものしたことないけど、極めてフツー。
誰にも、なんにも、文句言われたことなんかありません。
ネットではよく「ガン見された」とか、席を移動されたとか、ナントカ言われたとか、、、、、
ホントにそうなの?自意識が少し過剰なんじゃじゃなくて?
・・・・・・一体どーゆー人が文句言われんだろ???と疑いたくもなります。
しかーーーーーーーーーし
この1ヶ月というもの、マスクは必須です。
それも、なぜか医療用のやつを箱で所持していましたので、それを使ってます。
なぜなら!
粉塵にまみれているからです!
阪神地震の凄まじさを体感したオトーサンが、「防災用」として買ったもの。
まさか、こんなことで役立つとは😆
4月初旬でこうだったものが
このようにして塗装を剥ぎ、
剥ぎに剥ぎ続け
ついに、こうなった。
くほほほほほ。
しかしここまでくるのに粉塵まみれ。マスクをしてても、鼻をかんだら黒いもんが出てくる。
マスクのありがたみを知りましたよ。
そして今日から、下地塗り開始。
ま、ここまでのところ、正直、別に疲れないし、
意外と、わけもなかった!
ってゆーか、「どんだけ大変だったか自慢」みたいなのって、なんだろうって考えたりします。
やったことないことができたーーーーー(イエーイ)!みたいなのも、特にない。
そういうのって、なんなんだろ?
などと考えたりしながら、黙々と作業。
まさに、自分と向き合う時間。
アクセサリーやマリアさまを作ったりするときも同じだけど、この工務店作業は取り組み時間が長いだけに、「向き合う事柄量」がハンパないです。
時々、この作業は誰がやってるものなのかな?って思います。
なんだか知らないけど我が家には、ありとあらゆるものがあって、電動工具類はわたしが買い揃えたけど、大量のマスキングテープとか、塗装用のブラシとか、なぜか一式物置にあった。
もしかしたら父がやりたかったことなのではないか?
家が乱れているのは気になる人だったから、「きたねーな💢」と思い出したらイラついて、速攻取り組み始めたのも、わたしは肉体を提供しているけれども、父がやってることなのではないか?
「やりたいけど素人だからできない」って思うのがフツーの既知内の人だから、生きてる間はできなかった。
「お前の作業は雑だ」とか「お前は片付けが悪い」とか、若い頃よく言われたもんだけど、今となっては雑でもなければ散らかしっぱなしでもなく、妙にきちっとやっている。
そして「ちゃんとやるってこういうことだ」という父の口癖が、やたら脳裏に出てくるし、それは誰が誰に言ってんだろ????
まー「誰」がやってるのかは知らないけど、「自分」なんていない、ってわかってしまったから、父と会話しながら作業しているような、そんな感じです。
都内から「電動工具をぶっ放したい!!!」という人々が、時々手伝いに来てくれたりして、そーゆー人は楽しみながらもやっぱりきちっと仕事してくれるし、そういうのは嬉しいし楽しい。
ところで、塗装したいところはここだけじゃないから、この取り組みは果てしなく続く。
取り組み始めればいつかは完成するわけだから、特になんの問題もないし、「できない」っていうのが、すでによくわからない。
世の中には40年かけてマリア像を作る方もいるし、
フランスの郵便配達人は30年かけて自分の城を築いた。
「シュヴァルの理想宮」って知ってます?
彼こそモノホンの既知外。
道端に転がった小石を見て、突然作ろうと思いたった。なんか、わかるような気さえする、そんな気持ちが。
だけどこれだって「彼」じゃないよね、作ったのは。
ただの孤独な郵便配達人。「あいつ頭おかしいんじゃねえの?」村人からは嘲笑され。
しかし、そんな既知外がたった一人で作ったものが、今では文化資源として残っている。わざわざ行くべき観光スポットでもある。
彼の名前は世界が知っていて、嘲笑した村人の名前は誰も知らない。彼の残した仕事は現存し、村人の仕事はコンピュータに取って代わられているよ。
カッケーな、既知外は。
・・・・そんなことを思いながら、
なんでも真剣に、本気で取り組むから面白く、最初っから「ゆる〜く」みたいなのはつまんない。
出来上がったものが「ゆるいテイスト」になるのは良い。
ゆるいテイストで仕上げようと思って、その通りに仕上げられるのならそれはスキルとして真剣だ。
でも最初から「ゆる〜く」とか言ってハンパなものに面白いものなんかない。
、、、、、という風に考えているタイプなんだなあ自分は、、、、、ということを発見したよ。
あくまでも、わたしはね、という話で、ゆるいを揶揄しているわけではございませんよ。
ま、最近のわたしの脳内のお話でした。
またねー!